本堂 富谷観音
本尊 十一面観音
行基菩薩の作といわれています。
小山寺(富谷観音)天台宗
天平7年(735)聖武天皇の勅願により、行基が開山したと伝えられ古くから開運、安産、子育ての祈願所としてしられている。
本尊の十一面観世音菩薩は行基の作、脇士不動尊は慈覚大師の作、多聞天は運慶の作と伝えられている。本堂は四柱作りで江戸時代に再建された。
三重塔は寛正6年(1465年)、多賀谷朝経が旦那となり大工宗阿弥家吉とその息子によって再建された。
関東以北ではまれにみる室町時代の塔で、細部の装飾にすぐれ、屋根はこけら葺で、頂上には鉄及び銅製の相輪がある。
岩瀬町観光協会
案内板より
富谷観音 施無得畏山宝珠院 小山寺
小山寺は、天平7年(735)聖武天皇の勅願により、行基が開創し、自作の一丈六尺の鉈彫十一面観世音菩薩像を本尊にしたと伝えられています。
始め「長福禅寺」と号しましたが、その後慈覚大師が東北遊化の際、七堂伽藍を整え鎌倉時代はじめに、「小山寺」と改められました。笠間城主藤原時朝が弘長3年(1263)小山寺に寄進した「木造大日如来坐像」の胎内経に、「常陸国笠間郡小山寺大檀那…」の奥書があります。
また寛正6年造営の三重塔は、関東以北最古の建造物といわれ、その相輪宝珠に「中郡庄小山寺山長福寺大旦那多賀谷前下総守朝経…」の刻銘があります。
小山寺は、桜川を眼下に、筑波山を南に望む富谷山(施無畏山)の山腹に、宝珠の霊地堂塔が建立されています。一般に「富谷の観音さん」と呼ばれ、安産・子育の所願をこめて、多くの参詣者のあることでもよく知られています。
案内板より