興正寺 本堂 常総市 茨城百景・茨城観光百選・茨城の湧水 イバラキノート

興正寺 本堂

 

興正寺 本堂

 

興正寺の沿革
(茨城観光百選指定)

 

山号を石毛山、院号を地蔵院と称し、延命地蔵菩薩を本尊とする。

 

開創
後小松天皇の御代南北朝合一の成った。明徳4年8月(西暦1393年)臨済宗として、平田慈均禅師(ヘイデンジキン)によって開かれた。

 

開山
後土御門天皇の御代、応仁の乱後、文明2年(1470年)五霞村六国山東昌寺開山、御庵宗覚禅師の弟子、能山聚芸禅師(ノウザンジュゲイ)を迎い、曹洞宗に改め、能山を開山第一世とし現在に及んでいる。慶安元年8月(1648年)徳川家光公の帰依するところ厚く、御朱印地30石を賜り、寺門興隆の資に充てられた。

 

焼失
寛文5年夏(1665年)9世交巌長泰(コウガンチョウタイ)の代。雷災のため、七堂伽藍を悉く焼失した。「白狐の宝珠」の伝説あり。

 

再興
延宝6年初秋(1678年)江戸駒込高林寺の鳳山春桐(ホウサンシントウ)が請われて、当寺10世となり、荒廃せる諸堂の再建に盡し、貞享元年(1684年)にその復興を果たした。
そのとき鳳山を助縁したのが、石毛城主太郎正家公(寛永12寂)で、当寺中興開基として祀られている。

 

堂宇の沿革

 

豊川稲荷
興正寺鎮守、ダキニテンは、延徳元年(1491年)開山能山禅師が、三州豊川妙厳寺より勧請し奉納された尊像にして、永く山門を鎮め、能く火盗を消除し給う。享保6年4月(1721年)には宝殿再建に関し、「気の狂った雛僧」の伝説がある。この稲荷は十一面山に祭祀されていたが、天正6年(1578年)豊田、多賀谷両軍の合戦の際、焼き拂らわれることを虞れ、現境内に遷座されたものである。

 

薬師堂
延宝元年8月(1673年)8世雙室和尚が、玄法庵(中宿地内)を創立し本尊を薬師如来とされた。寛政4年3月(1792年)14世田栄和尚が近村60ヵ村を勧進し堂宇を建立されたもので、昭和29年3月当寺25世松岳和尚が現境内に復元したものである。

 

歴住の偉業
2世洞然正徹は上郷に宗徳、隋翁の二院を開山
3世曹室慧洞は吉沼に大祥寺、高須賀に永興寺を開山
4世広室祖陽は、下栗に法光寺を開山
5世博翁尖補は、山田に久昌院を開山
10世鳳山春桐は興正寺の復興を果した外、柤道研讃にも精進し「正法眼蔵」を書写し、現存している。
13世安心院蔵海は、諸堂、諸記録の整備をなすとともに「正法眼蔵私記」を執筆され現存しているが、眼蔵研讃に欠くことのできない宗宝とされている。

 

史跡
鎮守府副将軍豊田四郎平政幹公の墳碑
石毛城主、石毛次郎政重、太郎正家父子の墓と石毛院殿潔山宗英大居士の開基碑がある。

案内板より

 

 

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